同僚
私よりも11歳下の同僚は、
仕事はミスなく完璧にこなすも、
時々配慮のない発言をし、私は気分を害していた為あまり相手にしてなかった。正直、やや天狗気味の彼とは仕事以外では一切付き合わないと心に決めていた。
ある日、休憩中の雑談の中で、私がゴルフをすると知った彼は
ゴルフを始めたいので、一緒にクラブを見に行って欲しい
と言ってきた。
このような時、日頃の関係がモノを言うのである。
このオトコの役に立ちたくないな。しかし、社交辞令でやりますと言いながら
踏み込めない人間とは違っている。
一緒にショップに行くことにした。
気持ちはまだギクシャクしているが、中古クラブを実際に振ってみてアドバイスしながら、私は最初はどういう物がいいかきちんと教えようとスイッチが
入った。そして2軒目私の愛用のブランドより少し古めのセットを発見。
手頃な価格だが、打ち易さや品質は間違いないので勧めて購入決定。
グリップが滑るので後で要交換とだけ話しておいた。
掘り出しモノだよ、よかったな
同僚は喜んでいた。私も100点の買い物ができたと自分のことのように満足
していた。
それから、風向きが変わった。
2週間後一緒に初練習。少し遠征して時間制限なしの練習場に行った。
入場前にクラブケースとシューズをプレゼントした。
前向きだし、ゴルフを始めることに敬意を表して応援するよ。
彼は恐縮しながら、またまた嬉しそうだった。
基本のキだけ教えて4時間、フワッと玉が上がりだしたところで終了。
私の球筋を見ていた彼は
プロみたいですね、また教えてください、師匠。
寒い以外の文句も言わず真剣に向き合っていた彼に
よし、春、ふたりで本コースでラウンドするぞ。ある程度打てるように練習やな。その時、俺の初ラウンドのスコア抜いてくれ。
謙遜しながらも、彼には目標が設定できたようであった。
先日2回目の練習。お買い得なクラブであったが、私は磨いて来て欲しかった。車に積みっぱなしの感じであった。
しかし練習はお互い真剣な空気の中でどうすれば当たって飛ぶかコツを探した。
信頼関係ができた実感があった。
練習後、
やはり、グリップが滑っては逆にチカラが入るので私が使っている物を紹介
し、私が交換してあげるからと勧めた。彼は当日即注文し丁重に交換作業依頼
してきた。
そしてたった今、交換が完了したところである。
コンパウンドで全体も磨いておく。
彼に渡すのが楽しみになってきた。
(左から 同僚、私のクラブ、交換して新しくなったグリップ)
師匠と呼ばれて照れ臭いが、彼は周囲に私をゴルフの師匠と話しており、新たな仲間
を増やそうとしている。
今は私の方が嬉しくなっている。
やはり、ヒトとはよーく付き合ってみないと分からないものである。
改めて感じた。
「君とはクラブ談義やじっくり話をしながらコースを回ることを夢見ている」
愛犬との散歩に欠かせないもの
愛犬(M,シュナウザー)との散歩は
私にとって楽しみな時間です。
「息子」とはもう12年の付き合いとなります。優しくて面白いワンちゃんです。
休日は朝夕方晩の3回で5~6km散歩します。それまでは、用事もなく歩くことなど
まずなかったので、息子には感謝してます。同じ犬連れの方と挨拶を交わしたり、
小学生が声をかけてくれたりと、結構人とのふれあいがあります。
また、朝一の公園で木々に見とれて思わず撮影したり、
夜空を仰いでると、
あれ、なんか星がよく見えるようになった。視力アップしたかな。
など、気持ちがリフレッシュされます。
その散歩に履いていくお気に入りシューズがこれです
安全靴 シモンSS11 です。
大型車の運転の際、クラッチやブレーキペダルの重たい車両があり、膝が痛くなり
苦痛でした。何とかしないと仕事続けられない。
靴を変えてみよう。
若い頃に履いていたシモン社製の安全靴を思い出し購入し使用したところ
大幅に痛みが軽減したのです。
そして更に嬉しいことが・・・
平成30年2月初頭の福岡積雪の際、このSX3層底のソールによって、
滑らなかった。
転倒 怖いですから。
SS11が仕事でのエースになったのは言うまでもありません。
つま先保護のためSS11には硬い樹脂が入ってますが、
予想された
歩き回ることによる足先の痛みが全くないのです。
本革を使用したちょっと丸っこいデザインが意外とカジュアルにも合います。
暗い夜道でも足先を守ってくれますし、雨の日には滑らない、
とにかく歩きやすいとなれば、SS11は日常使用でもエースとなりました。
靴クリームで手入れして大事に履いていきたいです。
昭和63年 はやぶさ号で鹿児島へ②
おはようございます。今日は昭和63年11月4日6時です。
もうすぐ柳井です(山口県)。
米原の手前で眠りに落ちて、大阪や神戸の夜景は見られなかったのです、残念。
でも左側におだやかな瀬戸内海が見えてます。やっぱり朝の海の風景は見とれてしまいますね。列車は所定の時刻通りに走っているとアナウンスがありました。乗務員の方々、夜通しご苦労様です。
遅くなりましたが、今回の旅は東京から終点の西鹿児島までこの「はやぶさ」
に乗り通すことが第一目的です。そして鹿児島では薩摩富士と呼ばれる
「開聞岳」を見ることです。
終点まであと8時間近くもあります。のんびり行きましょう。
東京からロングランしてきた機関車はここ下関で関門トンネル用のピンクの
機関車に付け替えします。
トンネルを抜けた門司までの一区間ですが、ちゃんとヘッドマークが付けられています。
朝食の幕ノ内弁当を食べながら、九州に入りました。
真っ赤な若戸大橋が目に入りました。北九州を実感します。
遠賀川を渡り福間を過ぎたあたりから、福岡市近郊の雰囲気が感じ取れます。
博多到着です。9時台ということもあってこれから活動するのに本当に都合がいいです。そういうダイヤ設定なのでしょう。
二日市、鳥栖と時々田園風景が現れる筑紫平野を快走します。途中、遠くに西鉄電車が
並走するシーンが印象的でした。
筑後川を渡るとブリヂストンの工都である久留米です。町の中心は西鉄駅の方みたいです。
このはやぶさには食堂車の隣にロビーカーが連結されてるので行ってみます。
ソファ、ゆっくり座れるチェアがあり、夜遅くまで話たりできそうな空間です。
くつろぎながら、田原坂越えの車窓を堪能します。
熊本では後ろの8両を切り離します。熊本は今回立ち寄りませんが、天草、阿蘇方面
へ足を延ばしたいです。そうこうする内に相席の方が下車する八代に到着です。
下りる前にみかんいただきました。お元気で。
さあここからはコンパートメント私貸し切りです。本当はいけないのですが、
だるくなってきましたので、横になります。東京出て20時間は流石に長い。
でもこの近辺の川内や串木野などの地元の駅に東京方面から乗り換えなしで
到達できるから、お年寄りや家族連れには有難いのではと思います。
鹿児島市内に入るまでは、丘陵が多いこと。
「長らくのご乗車お疲れ様でした。終点西鹿児島に到着します。」
最後のアナウンスが流れるときはいつも名残惜しいのですが、今回は
早く下りたい。列車はゆっくりと終着駅に停車しました。
体はまだ列車の揺れを引きずってる感じです。
流石に南国、暖かいです。
ホームに薄っすらと積もった桜島の灰が鹿児島に着いたことを実感させてくれました。
(記)
昭和63年といえば平成が近づいている頃ですね。当時私は大学2年生でした。
とにかく寝台列車が大好きで、九州ー関東の移動の第一選択でした。
在来線という目線とスピードで各地の都市や街並みをベットから見ながら旅をする
のが合っていたと思います。折しも平成があと2か月あまりで終わってしまう現在
定期の夜行列車はサンライズ瀬戸・出雲号だけになってしましました。
従って、今振り返ると貴重な体験ができたと思います。ゆっくり旅する贅沢。
車内で出会った人とのふれあい。ブルートレインが色々な思い出を作ってくれました。
私の心の中にずっと生き続けることでしょう。
ありがとう、ブルートレイン 永遠に
追記
開聞岳は美しかった。
昭和63年 はやぶさ号で鹿児島へ①
1988年11月 東京駅10番ホーム
エスカレーターで上がると
ブルーの車体の照り、電源車の発電機の轟音、行先表示板・・・
最長距離列車はすでにホームに据え付けられており、気持ちは最高潮に達します。
「まもなく 寝台特別急行はやぶさ号 西鹿児島行 発車しま~す。乗車終了。」
ピーッ 汽笛と共にブルーの車体は静かに動き出しました。
並走する山手線、京浜東北線や東京タワーが旅立ちを見送ってくれてます。
90km/hぐらいでしょうか。防音とバネの効いた客車はスムーズに機関車に
引っ張られていて快適です。
八ッ山橋をくぐり複雑なポイントから解放されると更にスピードアップ。
多摩川にさしかかると、
さよなら東京。坂本九さんの曲が浮かびます。
このあと、相模川、酒匂川、富士川、安倍川、大井川、天竜川・・・
これから長い鉄橋をいくつも渡って行くんだな。
博多車掌区の専務車掌のアナウンスが九州なまりで、九州出身者にはたまらないと思います。
18時をまわって、この列車の前には長崎行さくら号、あとには熊本行みずほ号が
それぞれ九州へ向かっています。
乗車率は5割位かな。同じコンパートメントの相席の親子は八代までとのこと。
製紙工場の独特な匂いが車内でもしてくると静岡県です。もう日が暮れており
富士山は望めない。帰りの富士号でじっくり見る予定です。
(↓このように見えます。)
東京出発して3時間。そろそろお腹が空いてきたので食堂車へ。
お決まりのハヤシライスと瓶ビールを注文。ビールはウェイトレスさんがついでくれる。まだ学生の身であるのになんか偉くなったような。走り去る東海道の夜景を見ながらの食事は格別だな。
静岡まで180km、名古屋まで360km。だいたい180~200km毎に都市が形成されていることに気づく。この先、大阪、岡山、広島も同様。昔の街道の宿場の影響か。運転士もそのあたりで交代するようです。
名古屋では、立ち食いきしめん屋さんが見えた。食べる時間はなさそう。
先頭では、荷物が下ろされています。
客車の中では、減灯されて21時という時間が深夜に感じられます。
名古屋ではまだまだサラリーマンが 家路につく姿が見えます。
これからいよいよ関ヶ原越えです。カーブもキツイ。機関車はスパークを放ちながらグイグイ引っ張っていきます。
山間の夜景は暗くてよくわからない。先ほどのビールの酔いもまわってきたの
でここで眠りに就くこととします。
②へつづく
(挿入した写真は当時のものを使っております。)
紫陽花 を増やそう
立春を迎えて
やっておきたいことがありまして・・・
もうタイトル見たらわかりますね、アハハ。
2018年5月、久々散策で立ち寄った天拝公園(筑紫野市)で、
紫陽花園が整備されており、その規模や丘の上からの眺めが
素晴らしくて癒されました。
それ以降、色々な所に咲く
カラフルな紫陽花が気になって気になって
「メチャ綺麗やな~」
とお客さん乗車中は声出せないんで、つぶやいて。
梅雨時期の一服の清涼剤になったものです。
flower of the year 獲得です。
自然が作り出した色に目を奪われます。
自宅のかわいい(prettyではなくlittle)庭のセンターにも紫陽花の株があるんです。
葉が出てくると凄い迫力ですよ。
根付きもいいと思ったので、左右に広げたくて切り株を植えました。
よし、
6月は紫陽花まつりを開催して、お酒でも飲みながら花見しようかな。
がんばって育ってくれ~。
また報告します、では。