単身赴任12年間終えて家族はどうなったか。 ⑤トンボ返り
金曜日18時半、高速に乗り我が家へ。今週も色々あったけどよう頑張った。
長崎と佐賀県境の嬉野トンネルが私の仕事と家庭を分ける分水嶺でした。といってもお客さんからは電話が入るので、受け答えできるものは走りながら応対しました。
早いもので単身赴任生活6年目、
この長崎自動車道も自宅との往復で200回位走行しており、道路の線形や凹凸など頭に入ってます。
疲れていても帰省の時は家族やワンちゃんとの再会が待っているのでワクワクします。全国で単身赴任されているサラリーマンの方々みんな同じ気持ちでしょう。
何はともあれ、とにかく安全運転です。遠くに佐賀市内の夜景が広がります。長崎市内にはない広大な平野が「おかえり」と言ってくれているようです。
鳥栖まできました。あと20分、もう一息です。一週間いなかった間にコンビニができていたり街並みの変化も感じます。
車を止めると
家の中からシュウ君(シュナウザー犬)がワンワン声を出してくれています。歓喜の中、
「ただいま」
いつも通り妻が玄関で迎えてくれました。
しかし次の瞬間、
「今回はいつ帰るん?」(長崎へいつ戻るのか?)
「ん?」
その時わたしは何故か疎外されているように感じました。たった今帰ってきたところで冗談にも程があると。
「わかった。」
即、長崎へ戻ることにしました。喧嘩したくなかったし。
先程とは逆のコースを悲しくて情けない気持ちで長崎へ向けて暗い高速を走りました。
5時間ぶりに長崎へ戻ると、3年ぶりにタバコに火をつけました。
「やっぱり邪魔者になったのかな~」
土日はひとり静かな時間を過ごしました。
ベランダで育てているハイビスカスや他の植物の周りを綺麗にして、
ボーッと眺めたり、部屋の掃除をしたあと、ビールを飲みながらゆったり。
「これも悪くはないな。」
翌週も福岡に帰りませんでした。
冷静に考えて、
私が平日不在でも、妻は代わりにこなさなければならない事があってそれが5,6年も続くと自然と精神的にたくましくなるというか強くなっていったのでしょう。それに対しては感謝してますが、夫である私の存在感が薄れて来ていたのは事実だと思います。
あの時、
妻はただ単に日程の確認がしたかっただけだったかもしれません。過剰に反応した私も非があり反省しましたが、こういったボタンの掛け違いが、だんだんと夫婦間に亀裂を作っていったのでした。
⑥へつづく。